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【知覧特攻平和会館】は鹿児島の知覧にある特攻隊資料館!

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館は第二次世界大戦末期の沖縄戦で、爆弾を積んだ戦闘機が敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺書、遺影、記録などを残している特攻隊資料館です。知覧の特攻隊の基地跡にある知覧特攻平和会館の周りには灯ろうや慰霊碑、復元した戦闘機などを展示しています。

知覧特攻平和会館にある遺書や遺影

海から引き揚げられた零銭海から引き揚げられた零戦

第二次世界大戦当時、陸軍の飛行学校の訓練用飛行場だった知覧の飛行場は、昭和20年(1945年)3月に、特攻隊の基地(陸軍の飛行場)に変わりました。

  • 1,036名:沖縄戦で特攻戦死された数
  • 439名:知覧の特攻基地から出撃して亡くなった数

知覧特攻平和会館では、戦争を二度と繰り返してはならないことを伝えるために、1,036名の特攻隊員の遺影、遺書、身に着けていたものなどの歴史的資料を集めて展示しています。

展示物は写真撮影が禁止されています。1つの部屋のみ、写真撮影が許されています。

 

女の子
女の子
特攻隊員の多くの手紙は、両親や家族に宛てたものです。若いパイロットたちが何を思って、この知覧から飛び立っていったのかと思うと・・・・。

知覧特攻平和会館には以下の展示室があります。

  1. 中央展示室
  2. 疾風展示室
  3. 戦史資料展示室
  4. 企画展示室
  5. 震洋艇展示室
  6. 零戦展示室
  7. 視聴覚室
  8. 講和室

展示場の中には、世界に1つだけ残っている貴重な飛行機『陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」』があります。また、写真や手紙、軍服やブーツ、身に着けていた物、使用していた物などが数多く展示されています。そして、当時の時代背景などを映像とパネルでわかりやすく紹介しています。

零戦引き上げ零戦引き上げ
零戦引き上げ零戦引き上げ
零戦引き上げ零戦引き上げ

知覧特攻平和会館にある誓いの碑

誓いの碑誓いの碑

知覧特攻平和会館の敷地内には、幾つかの慰霊碑があります。それらは、上の誓いの碑のように、国を越え、民族を超え、世界人類永遠の平和を望むとあります。

男の子
男の子
人は歴史から学べる場所があることで、人類の平和が少しでも長く続いていくのではないでしょうか。

知覧の特攻隊の基地跡に復元された三角兵舎

三角兵舎三角兵舎

知覧特攻平和会館の横には、特攻隊員の宿舎として使われていた『三角兵舎』が復元されています。

三角兵舎三角兵舎

三角兵舎は、敵機からの攻撃を避ける為に、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせて偽装していました。

三角兵舎三角兵舎

実際に三角兵舎の中へ入ってみると、部屋に窓が無いため出入り口からしか光が入らず、昼間でも電灯をつけないと見えないほどでした。

三角兵舎三角兵舎

特攻像が見つめる先にあるもの

特攻像特攻像

知覧特攻平和会館の庭には、『特攻像「とこしえに」』があります。この特攻像は、特攻機が飛び立った南の空、開聞岳を見ているのでしょうか?それとも、もっと先の方を見ているのでしょうか?特攻像の横には、初等練習機として自衛隊で使用されたいた飛行機が展示されています。

隼

また、近くには映画『俺は、君のためにこそ死にに行く』で使用された『隼』の復元機が展示されています。

知覧特攻平和会館の灯ろう

知覧特攻平和会館灯ろう知覧特攻平和会館灯ろう

知覧特攻平和会館の敷地内には、幾つもの慰霊の灯ろうが置かれています。また、知覧教育隊の記念碑や、当時使われていた門柱、看板なども置かれています。

男の子
男の子
みなさんも機会があれば、知覧特攻平和会館に来られて、平和な時代について考えてみるのも良いのではないでしょうか。
知覧特攻平和会館石碑知覧特攻平和会館石碑

知覧特攻平和会館のとなりには『ミュージアム知覧(南薩摩の文化と歴史の博物館)』もあります。

春は桜の花で彩られます

春の桜春の桜

春は桜で知覧特攻平和会館じゅうが彩られます。桜のトンネルを通って駐車場へ。

春の桜春の桜

桜の時期は心が和みます。毎年、美しい桜を見ることができることを願って。

知覧特攻平和会館の施設案内

住所鹿児島県南九州市知覧町郡 17881番地
アクセス方法JRの鹿児島中央駅からバスで 約80分、下車後徒歩約5分
JRの指宿駅から車で 約44分
JRの指宿駅からバスで 約64分、下車後徒歩約5分
開館時間9時から17時
定休日年中無休
入館料大人:500円
小人:300円
駐車場有ります

ABOUT ME
ゆうドン
私は、鹿児島生まれの鹿児島育ち。昭和生まれの好奇心旺盛な『おじさん』です。仕事の関係で、熊本、福岡、島根、東京に住んでいましたが、現在、鹿児島に住んでいます。30年近く、COBOL言語でプログラムを組んでいましたが、現在は、ブログ作りに励んでいます。